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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1519号 判決 1950年11月02日

被告人

中川虎雄

主文

原判決を破棄して、本件を岐阜簡易裁判所に差し戻す。

理由

検察官神野嘉直の控訴趣意第一点について。

昭和二十四年五月七日法律第五十二号飲食営業臨時規整法(以下規整法と略称する)第三条第一項によれば、外食券食堂、めん類外食券食堂、旅館、軽飲食店、喫茶店の各営業を営もうとする者は、都道府県知事の許可を受けねばならない旨が定めてあり、同条第二項によれば、都道府県知事は、食品衛生法第二十一条による許可を受けた者以外には、第一項の許可を与えてはならない旨規定してある而して被告人が昭和二十四年五月頃から岐阜市玉宮町一丁目三番地において、設備を設けて客に対し酒類その他飲食物を提供して飲食営業を営んだことは、前記規整法第三条第一項の軽飲食店営業を営んだことになるので、同法による許可を要することは、明らかである。然るに、原判決は、右事実が原審によつて取り調べられた証拠によつて、十分に認められるにも拘らず、被告人が食品衛生法第二十一条による岐阜県知事の許可を受けたこと並に取引高税の台帳「喫茶岐阜県」と云う貼紙の交付を受けたことを以て、規整法による許可があつたものと誤信し、その誤信につき、重大な過失がなかつたことによつて被告人には、犯意がなかつたものと解釈して、被告人に対し、無罪の言渡をしたのである。

右のような被告人の誤信が、法律の錯誤であるか又は事実の錯誤であるか当事者間に争があるが、本件犯意事実は被告人が規整法第三条の許可を受けないで、軽飲食店営業を営んだことにあつて、右事実は、総て被告人も認むるところであり、原審が取り調べた証拠によつても、十分に認められることは、前記の通りであるから、被告人が食品衛生法第二十一条による許可を受けたこと並に前記取引高税の台帳の交付を受けたことによつて規整法の許可があつたものと信じたことは、規整法第三条の解釈を誤つたものと解さねばならない。従つて被告人の前記誤信は、事実の錯誤でなく、法律の錯誤であると謂わねばならない。

而して法律の錯誤が犯意を阻却するか否かについては、論争があり、極めて困難な問題であるが、わが国の学説として通説の認めるものは、違法の認識を欠くも、違法の認識の可能性があつた場合又は認識を欠くにつき過失があつたときは、犯意があると解している。然しわが判例は、これを採用しないで、大審院以来最高裁判所の判例に至るまで、自然犯はもとより法定犯においても違法の認識を欠くも犯意を阻却しないとしている(昭和二十三年七月十八日最高裁大法廷判決、昭和二十四年四月九日最高裁第二小法廷判決参照)果して然らば、原審が、被告人において、重大な過失なくして、前記の通り誤信したことは、犯意がなかつたものであると判示したのは、刑法第三十八条第三項の解釈を誤つた違法があることになり、破棄を免れない。

(検察官神野嘉直の控訴趣意)

第一点

原判決は事実の誤認があつて其の誤認は判決に影響を及ぼす事が明かである。

一、本件公訴事実の要旨は「被告人は行政庁の許可を受けないで昭和二十四年五月頃から昭和二十五年一月中旬頃までの間岐阜市玉宮町一丁目三番地に於て設備を設けて客に対し酒、料理等の飲食物を提供して飲食営業を為したものである」と云うのであるが之に対し原審は右事実を認めながら被告人には飲食営業臨時規整法の許可書なくして営業する意思なく又其の許可を受けなかつた事に付重大な過失がなかつたから全く罪を犯す意思なきものとして無罪の判決を言渡した、即ち原判決の理由とするところは、

(一)  被告人は昭和二十五年五月頃飲食店を開業する事を志し、その許可を得る為飲食店組合に行つて営業許可に必要な手続を依頼し間もなく取引高税の台帳と「喫茶岐阜県」という貼紙(之は昭和二十四年五月七日飲食営業臨時規整法公布迄に施行されて居た飲食営業緊急措置令の許可書に該当す)が来て同組合側はもうこれで営業を始めてもよろしいという事になつて同年五月一日から開業したのであり更に同年八月十七日に県衛生課の方からも食品衛生法に基く許可書が来たので被告人としては営業許可が全部済んだものと信じて居た事を認め

(二)  被告人が前記規整法の営業許可書なくして営業した事は全く同組合の手落であるから被告人が「阜喫茶岐県」或は「岐阜県指令第四〇四七号」(食品衛生法第二十一条に依る許可書番号)を以て営業許可書であると誤信した事については相当の理由が有り、その誤信した事につき重大な過失がない。

二、従つて被告人が仮令昭和二十四年五月七日公布の前記規整法の許可書なくして営業したとしても被告人には該許可書なくして営業して居るとの認識なく、且つその誤信に付いても重大な過失存せず全く罪を犯す意思がなかつたものであるから本件は罪とならないと謂うに在る。(中略)

本件は被告人の弁解をそのまゝ採用するも犯意なかりしものではなく、単なる法規の不知に過ぎない。原審裁判所が被告人には重大な過失がなく従つて犯意がないと認定した事は誤りである。

被告人は飲食店営業者であり、従つて従来の判例(昭和九年三月一日大審院判決判例集第十三巻百七十九頁、昭和十四年二月二十八日大審院判決判例集第十八巻六十三頁)が示す通りその飲食店営業に当つてはどの様な関係法規が存在し、どの様な許可が必要であるかは当然知つて居なければならぬ注意義務が課せられているのである。新法たる飲食営業臨時規整法が公布されたことが当時の新聞紙にも掲載されたことは公知の事実であるが仮にその掲載を見なかつたとしても、業者としては当然新法の趣旨即ち之れに基く許可がなければ営業出来ない事を知るべき義務があつたに拘らず、被告人が之れを怠つた事は上記諸般の事情を綜合すれば明白である。然るに原審裁判所はこの点を看過して重大なる過失なしと判断したるは誤りである。

抑々斯かる場合に付重大なる過失あるときは勿論のこと軽過失のときと雖も犯意を阻却しないのである。

原審裁判所が「重大なる過失がないから犯意を阻却する」旨の判示をしたのは法律の解釈を誤つたものと謂はなければならぬ。

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